優秀な指導者がなかなか現れない理由 

こんばんは、三浦です。

昨日はサッカー日本代表のアジアカップ予選:オマーン戦を家で観ておりました。

 

去年、サッカーW杯をあんなに楽しんだのに……

いつも日本代表の試合は心から楽しんでいるのに……

 

昨日はマッジでつまらなく途中で寝そうになりました。

 

まあ、昨日の試合自体が面白くなかったのもありますが、ここ最近はラグビーの試合を見すぎな為に思った感情でもあります。

本来はラグビーの方が好きですからw

 

もう、さすがに慣れましたがサッカーはあの大袈裟なリアクションを取って、反則を取りに行くのがどうも好きになれません。

 

「マリーシア」という行為で、ポルトガル語で「悪意」という意味の言葉ですが、ラグビーでは絶対にない行為なので最初は全く理解できませんでした。

 

 

と、早速競合の悪口から入って・・・悪顔

 

本日もLBRメルマガをお届けしようと思います。

 

今日の話は、今の時代

・指導者

・監督

と言ったポジションの人の行動が昔以上に難しくなっている、、そんな話を。

 

当然、昔から難しいポジションです。

人を行動させるのは本当に難しい。

 

ですが、特にこんな「今の時代」だからより難易度は上がっていると思います。

 

なぜか?って、、

今の日本は余りにも自由で平和な時代だからです。

 

普通にしていれば、普通に生きていける。

努力・根性とかがウザいと感じるし、強烈なカリスマな指導者とかも逆にウザいんです。

 

そして、こちらは良かれと思って指導してもすぐに

「パワハラ」

という言葉が出てくる。

 

厳しい指導無くして成長はないのに、すぐに生徒や選手の「自主性」という言葉を重んじる。

 

先日、日刊メルマガで帝京大学9連覇の立役者である岩出監督の対談記事を添付させて頂きました。

 

その記事にもやたらと

「自主性」

という言葉が出てきました。

 

 

そうなると人は、、

「岩出監督は選手の自主性を重んじる素敵な指導者だ~」

と、評価されます。

 

確かに岩出監督は素晴らしい指導者ですが……

普通に優しいだけの監督が9連覇も無理です。

 

岩出監督の厳しさは僕は一番怖かったりします。

 

彼の怖さは、当然知られておりませんが

「すぐに斬る」

というところです。

 

驚いたのは折角レギュラーに選ばれて試合に出ても、ちょっとパフォーマンスがイマイチだと開始15分くらいでメンバーチェンジをしたりします。

 

帝京大学ほどシーズン中にレギュラーが入れ替わるチームはありません。

 

パワハラまがいの人って、絶対にこういうことをしない。

 

怒ったぶん、キツく言ったぶん、最後は責任を持つ、、

そんな義理人情の塊の昭和的な人が何気に多かったりします。

 

パワハラ+責任を持たない指導者は、最低なのでそういう奴はほっときましょう。

 

岩出監督は時代に合わせている。

「結果」

ということを何よりも重要視した指導方法です。

 

プロセスとか度外視します。

 

どう思います??

 

こうやって書くとちょっと世の中の評価と変わってきませんか?

 

つまり、今の時代のラグビーに義理人情指導はいらなくなったということです。

 

岩出監督は誰よりも早くその変化に気付いた。

 

 

僕がやってた頃は、下手くそでも誰よりも練習をしている頑張り屋さんは報われる時代でした。

 

そういう奴がレギュラーに選ばれても、周りも誰も文句を言わなかった。

 

「あいつは誰よりも頑張っているから」

と、今の人じゃ理解できない謎の納得感がありました。

 

そこが学生スポーツの魅力だったけどでも今は、その文化は無くなってきております。

 

だって、下手くそな奴を出すとチーム力が弱まりますから。

 

学生スポーツはビジネス化してきているというのが僕の分析です。

 

もう、誰もお酒を飲みません。

タバコも吸いません。

祝勝会もオレンジジュースです。

 

それが「今」の学生スポーツです。

 

時代は変わったんです。

 

僕みたいに、長距離練習の前に

「三浦、頼んだぞ!

 喫煙者の星!!」

「任せろ!!」

みたいなのは笑い話にもなんにもならんwww

 

帝京大学は僕の代は実は出場停止を食らっております。

女子大生にレイプ事件を起こしたからです。

 

そこから帝京大学は変わりました。

徹底的に「人間指導」に入った。

 

それが結果、良い方向に向かっております。

 

今季優勝した明治。

昨日も書きましたが、ほんとバンカラの代表だった学校です。

 

試合中の乱闘は本当に怖かったしこっちもスイッチ入ってるから試合中、何度殴り合いの喧嘩をしたことか。

 

今の時代、少なくとも高校や大学のラグビーの試合では乱闘シーンは皆無になりました。

 

これが「変化」です。

 

 

時代を的確に読んだ指導を。

「昔は良かった~」

という指導者は絶対に成功しない。

 

また、明治の話ですが、明治の低迷の原因の1つに、北島忠治監督が亡くなったことも大きいです。

 

彼は明治大学だけでなくラグビー界ではカリスマの1人であり、1929年から亡くなる直前の95歳まで、67年に渡って監督を行なっておりました。

 

もう、当時は生きる伝説、、じゃないけど、北島監督の存在が凄すぎて明治の選手は誰も反抗できなかった。

 

指導者とかいうレベルを超えており、荒くれ者の学生も北島監督の前では子犬のような学生に戻っていたそうです。

 

その北島監督がなくなって、暴れん坊の学生を止める人がいなくなった。

 

その改革が22年もかかったということです。

 

話はちょっと脱線しますが会社を長く存続させるには、3代目が特に重要と言います。

 

だいたい初代はカリスマ過ぎて2代目はどんなに優秀でも影を潜める。

2代目は如何に上手く3代目に引き継がせるか?

 

それが長く存続させる最善の選択と言われておりますが、まあ、なかなか難しいものです。

 

上手く行ったのは、徳川幕府くらいか?w

 

北島監督は別格として、僕らが目指すべき指導者の方向は岩出監督です。

 

しっかりと現状分析出来ているか?

過去の価値観・しがらみから如何に脱却できるか?

新しい流れにしっかりとアジャストできるか?

 

こう書くと簡単そうですが、マジで難しいです。

 

しかもラグビーというかなり尖ったジャンル・世界で培うものを捨てるのはなかなか難しい。

 

・結果よりもプロセス(練習の姿勢)

・無駄な上下関係の美学

・色んな個性の集まり

・タバコや酒をやってもしっかりと結果を出せばいい

・試合後は仲間と肩組んで泥酔

・休みの日は合コン

・最後は才能も気合と根性で乗り越える

僕がやってた時のラガーマンの美学です。

 

きっと同じような価値観を引きずっている僕ら世代のラガーマンが多いはず。

そういうOBが口を出しちゃいけない。

 

先日メールで書いたことはそう言った意味です。

 

時代の変化は時には寂しくあります。

 

僕だって、

「昔はよ~」

と言いたい時もあります。

 

だけど、それを言ったら終わりだし、そういうことを言う奴が「オヤジ」なんだと思います。

 

当たり前ですが、年を1つ重ねるたびに、若い世代がある一定数社会に入ってくるということ。

 

全く同じような価値観で構成されてないから、徐々に時計の短針のように見えない中で世の中は回っている。

 

「指導者」は、そこに誰よりも敏感じゃなきゃならない。

 

そして、敏感に反応できる人は何気に多いがその変化を受け入れて、過去の価値観を捨てて行動できる人は少ないという事実。

 

優秀な指導者がなかなか現れないのは、僕はこれだと思います。

 

現状・やるべきことの分析は出来る。

ただ、実践までに行動に移せない。

 

その阻害要因は

・過去の自分の成功体験

・過去に培った自分の美意識

だと考えられます。

 

ビジネスでも全く一緒です。

今一度、皆様にも考えてもらいたいテーマです。

 

ではでは

 

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PS

ちなみに北島監督は本当に素晴らしい人でした。

彼の人柄はどうしても伝えたいのでwikipediaの一部をコピペ致します。

ぜひ、そちらも合わせて読んでほしいです。

では!

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明治OB達は皆、口を揃えて「厳しくも温かい人柄」であったと伝えている。

また監督が幅をきかせていた他の大学と違い、グラウンド上では大抵学生の判断に任せていたが、手抜きは許さなかった。

また見つけた場合は即刻グラウンドから退場を命じた。

北島がラグビーを通じて目指したものは人格陶冶、社会に恥じない人間を育てることであった。

それを示す例として、ラグビー部寮が火災で焼失した際、

「家は建てられるが部を再建することは困難である」

と新宿の自宅を売って再建したという。

「重戦車・明治ラグビー」のために生き、没した生涯であった。

30代前半で禁酒、しかし、1日100本の愛煙家の生涯でもあった。

チームがトライを取るたび、また取られるたびにテレビ画面に映る北島は、泰然とたばこをふかす姿であった。

それがまた彼の魅力を醸し出していた。

また、北島の臨終の言葉は「明治、前へ…」であったことを北島の妻が明か明かした。

1986年には吉川英治文化賞を、1991年には文部省からスポーツ功労者表彰を受ける。

墓所は八王子市の常修寺。 

監督在任中1300名の部員を育てた。

1996年の早明戦では喪を意味する黒襟のジャージで選手は戦い接戦の末、早稲田ゴール前でスクラム認定トライで逆転勝ちをした。